信長のライバルたち記事一覧

 戦国期には、織田信長・上杉謙信・北条氏康・毛利元就などいった数多の英雄が各地方に勢力を誇っていました。その群雄の中でも、甲信地方に一大勢力となった『武田信玄』は特に天下に名を馳せた英雄であり、信長、徳川家康といった天下の覇者にも畏怖されました。 信玄は、我の強い自身の家臣団を生涯をかけ苦心して1つにまとめ上げ、合戦場では大将・信玄が号令の下、軍勢が一体となって組織的かつ有効的に動ける天下一の最強...

以前の別記事では、戦国随一の名将である甲斐国(現:山梨県)の武田信玄が拠った山間地の領国で味わった「地の不利」について紹介させて頂きましたが、今回は信玄と双璧を成し、信玄と名勝負・川中島の戦いで激闘を繰り返した越後国(現:新潟県)の『「上杉謙信」が味わった不利』について紹介させて頂きたいと思います。 先述のように信玄は「地の不利」を生涯を通して味わった苦渋でしたが、謙信の場合は、日本海航路の要衝で...

越後国(現:新潟県)の上杉謙信(旧名:長尾景虎)は、戦国史を彩った英雄の1人であることは間違いなく、謙信のライバルとされている武田信玄と並んで戦国最強武将と謳われ、東海・畿内という中央を制した天下の覇者・織田信長でさえも謙信・信玄の両英雄に畏怖していたと言われております。 謙信が信長をはじめとする他の戦国大名に畏怖(および畏敬)された最も有名な理由で挙げられるのが、「軍神(毘沙門天の化身)」と称さ...

越後国(現:新潟県)の戦国大名・長尾景虎こと後の上杉謙信が、父・為景以来の外交路線を受け継ぎ、(戦乱により形骸化したとはいえ)当時の中央政権である朝廷や室町幕府に対して朝貢(莫大な献金)などを行うことによって中央政権との結びつきを強化し、朝廷からは「紺地の日の丸旗」、幕府からは越後守護職に相当する役職などを下賜および拝命されることによって、本来越後国内ナンバー2の家柄(守護代)である長尾氏の家格を...

 カテゴリ・織田信長の経済戦略内の記事で、信長が長篠設楽原の戦い(1575年)で、戦国期に最強と謳われた甲斐武田氏の軍勢に勝利できた理由を、一般的に知られている「鉄砲戦法」、そして「陣城戦法(拠点防衛方式)」であった、ということを紹介させて頂きましたが、今回はその敗者となった甲斐武田軍の大将・武田勝頼は、父・信玄が遺した天下一の精強軍・武田軍(甲州軍団)を率いらがらも長篠設楽原で大敗北を喫し、その...

 戦国最強軍団の甲州武田軍を率いながらも、1575年三河長篠設楽原の戦い(現:愛知県新城市)で、織田信長・徳川家康連合軍に完敗した武田勝頼。その勝頼の主な敗因として、「織田氏と武田氏の『経済力の格差』にあった」ということを前回の記事で紹介させて頂きましたが、今記事では他の敗因、『大将として勝頼が背負ったハンディ』について紹介させて頂きたいと思います。 長篠設楽原での名将・武田信玄以来の無敵武田軍が...

 日本の戦国期というのは、「下克上の時代」とよく言われているように、必ずしも大勢力(名門)が未来永劫、大のまま生き残ってゆくという例は殆ど無く、寧ろ「下が上に克つ」という言葉通り、小(卑賎)が大を併呑してゆき、地方、最終的には天下へ覇を唱えるという事例が日本各地に存在します。その筆頭的存在が、守護代配下の奉行の家柄であった織田信長や、その配下で平民出身者である豊臣秀吉でありますが、その彼らの約40...

 以前の記事で、一代で国人領主から大勢力に成り上がった毛利元就が支配した「中国地方は、戦国期当時、農業生産力(石高)が軒並み低いが、『海(貿易)の利権』と『山(鉱山)の宝庫』であり、天下有数の好地であった」ことを紹介させて頂きましたが、今記事では、安芸国(現:広島県西部)で、しかもその山間地の吉田盆地(現:安芸高田市)の当初、鉱山など格別な経済力を持たない典型的な国人領主であった元就が、海の利権と...

安芸国吉田荘(現:広島県安芸高田市)を治める一国人領主から一代で戦国期を代表する戦国大名となった毛利元就ついての記事です。元就が制覇した山陰山陽(中国地方)は、戦国期以前の古代よりの日本最大の海上交通および交易の要衝であった瀬戸内海を擁し、一方の山陰側では、国内最大級の製鉄産業地帯および当時世界規模の銀産出量を誇っていた「石見銀山」が存在したという、「海の利権」と「山の宝庫」の両方を擁した『国内有...